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ランドセルは、小学生に“格差社会”を思い知らせるか?

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ランドセルといえば、かつては、年を越して、

そろそろ、小学校へ入学だねー。

という時期に、売り出されていたと思いますが、

最近は、一年をとおして常時売られているようです。

もちろん、需要があるからお店側も陳列しているのでしょうから、

オフシーズンとも思える5月~12月の間でも、

結構売れているというウワサです。


そんな季節感がなくなってしまったランドセルですが、

最近は、デザインなどが豊富になってきて、

選択の幅も広くなってきているようですが、

それによって、

小学生に“格差社会”を思い知らせる

アイテムになって来ているということです。(汗笑)


6歳の子どもに過酷な試練… 小学生に“格差社会”を思い知らせる、高級ランドセル市場
http://news.livedoor.com/article/detail/9279618/


記事によりますと、

孫のためなら高額な出費もいとわない祖父母を狙い、

年々高級なランドセルが登場しているとのことです。

職人が手縫いするものやオーダーメイドまで出現しているのだそうです。

まあ、ランドセル業界の戦略としては、当然のことでしょう。(笑)

しかし、このランドセルの高級化は、一方で、

親の事情により家庭が貧しい子どもたちには、

「格差社会」を思い知らせる過酷な試練ではないか?

と筆者は主張しています。

そして、小学校は義務教育なのだから

条件も平等であるべきではないかとし、

できれば、昔ながらの「黒と赤」もしくは

「鞄は自由」という流れになることを願う。

と締めくくっています。


なるほど、まあ、そういう考え方もあるでしょう。

しかし、この平等という考え方は、共産主義思想ですね。

今の自由主義、資本主義の日本では不可能でしょう。

もちろん、6歳のこどもに、何万円もするランドセル

買い与えるのは如何なものか?と私も思いますが、

だからと言って、平等に画一的な持ち物にした方が良い

とは、思いませんね。

そもそも、すでに、キラキラのキレイなランドセルが出来ているのに

それを作らないようにするなんて、どだい無理な話です。


自分が小学生だった頃を、思い返してみても、

やはり、お金持ち貧乏人というのは、

ハッキリしてたと記憶してます。

ランドセルひとつのことで済まないんですよね。

この記事の筆者が言う様に、たとえランドセル

平等にしたところで、お金持ち貧乏人庶民とは、

細かな持ち物から、洋服、食べ物など、その他全てに差が出ますから。

ランドセルだけ同じにしたところで、何の解決にもなりません。(笑)

ひいては、言葉使いから、生活習慣礼儀作法立ち居振る舞いまで、

物だけではない格差が、どうしたってにじみ出てしまいますから。(笑)


問題は、実際に格差があり、その格差がさらに広がっていることです。

実際に格差があるのに、それを表面上だけ繕って、

格差が見えない様にしたところで、何の解決にもならないでしょう。

もし、やるべきことがあるとすれば、

これ以上格差が広がらないようにするには、

どういう社会にしていけばいいかを考えることではないかと思います。

まあ、難しいでしょうけど。。。

偉そうに語ってますけど、私自身ノーアイディアですから。(汗笑)


昔、一時期、運動会の徒競走で1位、2位、3位など、

順位をつけるのは、子どもが可哀想だという意味不明な意見が通り

順位をつけないようになったことがありましたが、

その結果、子どもたちは、まじめに一生懸命走らなくなった

ということがありました。(笑)

まあ、当然ですね。

それは、共産主義、社会主義のお国の状況を見れば明らかです。

みんな平等なら一生懸命やらないですから。

そんなことで、今回のランドセルの記事の筆者は、

何を伝えたかったかは、分かりませんが、

少なくとも、賛同は出来なかったなあ、と思った次第です。


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ランドセルいっしょけんめい

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